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F-4C型の後継として、空軍の要望を取り入れ改修したD型は、1967年から次々にベトナム戦に投入された。当然ベトナム戦でファントムを操るパイロットの大量養成が急がれるので、ここジョージ空軍基地でもC型の他に、D型を入れて訓練の強化を行った。此処で訓練を終えたファントムライダーは即ベトナム戦に投入され、多くの戦果を挙げている。D型はベトナム戦に於いて最もMig戦闘機を撃墜したファントムとして記録を残したが、被害も多く 多くの新人パイロットが10回の出撃の間に撃墜され命を失っている。ベトナム戦で酷使されたため、最も撃墜された米戦闘機もファントムだったのである。何れにせよ、当時他の比肩する戦闘機が無い程優秀な性能だった為、誇り高い空軍が採用した海軍機F-4ファントムは、直ぐに空軍の主役の座も奪って、ジョージのような訓練部隊は忙しい毎日を送っていたのである。
F-4D 388th TFW / Hill AFB
F-4D 35th TFW / George AFB
↑ 我々が1980年3月ヒルを訪問した際、エプロンには新鋭のF-16A/Bに交じりファントム戦闘機も数機みる事が出来た。この機体はF-4D/65-0721 1980年3月まではこうしてヒル空軍基地のエプロンにいたが、テールレターを消し、移動の準備が出来ていた。この機体は、ホームステッド空軍基地の31st TFWに移管された。
↑ 421st TFS所属のF-4D/64-0980
ベトナム戦でシャークマウスを付けたF-4Eで大きな戦果を挙げてきた精鋭の第388戦術戦闘航空団は、本国戻るとヒル空軍基地で、1975年12月23日一世代古いF-4Dを受領した。同航空団傘下には、第4/第34/第421の各戦術戦闘機中隊を擁し、次世代の戦闘機F-16A/Bを受領するまで、此処でF-4D戦闘機は約5年間運用されていた。同航空団の役割はパイロットの養成や戦技訓練であり、ベトナムで消耗した空軍戦力の立て直しであった。
↑ 1972年4月にジョージ空軍基地で撮影された第35戦術戦闘航空団第4435戦闘機要員訓練飛行隊(35th TFW/4535th CCTS)のF-4D-29-MC 66-7478  。4435th CCTSも、1971年にジョージで訓練飛行隊として活動を始め、F-4Eも導入して1973年まで存在していた。
↑ 1972年4月にマッコード空軍基地で撮影されたジョージの第35戦術戦闘航空団第4452戦闘機要員訓練飛行隊(35th TFW/4452d CCTS)のF-4D-31-MC 66-77254452d CCTSは、1971年にジョージで訓練飛行隊として活動を始め、F-4Eも導入して1973年まで存在していた。この頃はテールレターもGA.GB.GC、GD等を使って飛行隊ごとに区別していたようだ。後に"GA"に統一された。
Wings
↑ 421st TFS所属のF-4D/65-0770
↑ 1975年5月に撮影された35th TFWのF-4C 65-0752。フィンチップは赤は、当時431st TFTS所属機と思われる。
↑ 第388戦術戦闘航空団傘下の三個飛行隊(4th TFS/Yellow, 34th TFS/Red, 421st TFS/Blue)の各ユニットカラ―を尾翼に並べたF-4D/65-0655。隊長指定機ではなく、航空団を代表して戦技競技会かのイベントに参加した際のスペシャル塗装だったように記憶する。
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↑ F-4D/65-0801 この機体も1980年3月までヒル空軍基地のエプロンにいたが、テールレターを消しホームステッド空軍基地の31st TFWに移管された。